第0話 胎動
初代フリスタユーザーの諸君、プリン君という名の伝説のPGをおぼえているだろうか?
「その者、暗黒闘気を纏いて蒼きコートに降り立ち、人々を完全なる勝利へと導かん」
というフリスタ界にまつわる古き言い伝えの男である。
初期〜中期にかけて活躍した伝説の野良PG・・・。何を隠そう、それが私だ。
ただ当時の私はその意識の高さゆえ、どちらかというと「クールにバスケ」とサブタイトルが付いていた初期路線の原理主義者であった。
そのため中期以降、ダッチワイフみたいなキャラが走り回るコメディー路線へとゲームコンセプトが変更されてからは、自然とフリスタからは遠ざかってしまった。
よって当然フリスタ2もプレーしていない。
それから現フリスタに行き着くまでの間、最もハマっていたゲームはなんと言ってもスト4シリーズである。
初期はps3オンリー。途中から箱◯、さらにはアーケードでもプレーし、当時のIDは「MNO-_-」を名乗っていた。
ちなみにMNOとはMANKOの略である。
もちろん本音としてはMANKOを名乗りたかった・・・しかし1人の責任ある立場の大人として、常に子供たちへの配慮はすべきだし、また垢BANされるような事態も出来るかぎり避けたかったので、結果こういった各方面に配慮が行き渡ったネーミングに落ち着いた。
私は今でも当時の私の大人の判断を誇りに思っている。
さて、スト4プレーヤーとしての私についてだが、実力的には「強めの量産型」止まりであった。
マゴ(有名格ゲーマーで2D神と呼ばれていた)より早くフェイロンの強さに気づいた男、
「2D神マゴを超えしマンコ神MNO」を自称したこともあったし、ps3でのppは5000を超えアケでもマスターに到達してはいたが、トップクラスのネームドたちには遠く及ばなかった。ドラゴンボールにおけるクリリンの立ち位置をイメージしてもらうといい。
とはいえそれでもスト4シリーズはとても楽しかった。
1番の思い出は当時ps3で知り合った、岐阜の名所たる金津園をマスターしたと豪語する漢、金津マスターことザンギエフ使いの「ソラ アオイ」君らと共に出場したNSB〜NagoyaStreetBattle〜という、
割と大きめの大会で決勝トーナメントに残ったことである。
箱勢に比べ弱いと言われ、実際弱かったps勢が集まってそれなりに結果を残せたことが嬉しかった。
と、まあここ数年来で特にハマったゲームの遍歴はこんなところである。その後たまたま見ていたPSストア上で3on3FreeStyleなるゲームを発見することになるのだが、それについてはまた次回。
次回、キセキを呼ぶ漢チャーリー山岡の軌跡
第1話 「ヤマオカ、コートに勃つ」
きみは、生き延びることができるか?